「正しく生きなさい」って、よく言われますよね。
子どものころから、親や先生に当たり前のように聞かされてきた言葉だと思います。
ちゃんと勉強して、空気読んで、人に迷惑かけないように生きる。
たしかに、そういう生き方は「正しい」んだろうなって思います。
でも、どこかでずっと、胸の奥がザワザワする感じがありました。
私だけかもしれないけど、「正しさ」に合わせて生きようとすればするほど、自分の気持ちが遠ざかっていく気がしてたんです。
頑張ることは良いことだし、ルールを守るのも大事。
でも、それを押しつけられるたびに、「これは誰の正しさなんだろう?」って考えてしまっていました。
もしかしたら、あなたにも、そういう経験があるかもしれません。
ちゃんとしてるのに、なんだか苦しい。
みんなと同じはずなのに、どこかズレてる気がする。
そんなふうに感じたことが、少しでもあるなら、きっとこの話は他人事じゃないと思います。
私にとっての「受け入れられない正しさ」ってなんだったのか。
これから、その話を少しずつしていきたいと思います。
「正しさ」が私を傷つけた瞬間
あるとき、身近な人に言われた言葉が、ずっと心に残っています。
「もっと頑張らなきゃダメでしょ」って。
その人は悪気があったわけじゃないし、むしろ励まそうとしてくれていたのかもしれません。
でも、そのときの私は、もう限界ギリギリで。
その一言で、何かがポキッと折れてしまったような気がしたんです。
「頑張らなきゃいけない」
「サボっちゃいけない」
「もっとちゃんとやらなきゃ」
そんな“正しさ”に追い詰められていたんだと思います。
それまでは、自分でも気づかないうちに、それが当たり前だと思って生きていました。
でも、そのとき初めて、「この正しさは、自分のためじゃないかもしれない」って思ったんです。
それからは、何かにつけて「これって本当に私にとっての正しさなんだろうか?」って考えるようになりました。
でも、考えれば考えるほど、よくわからなくなってしまって。
それが逆にしんどかったりもして。
正しさって、人を守るためにあるものだと思ってたけど、ときに人を苦しめたり、置いてけぼりにしたりもするんですよね。
正しさって、もともとは人を守るために生まれたものなんだと思います。
ルールがあるから安心できるし、秩序があるから社会は成り立つ。
それ自体は、きっとすごく大切なことです。
でも、正しさが“絶対”になったとき、話はちょっと変わってくる気がします。
「こうするのが普通だよ」
「こうあるべきだよね」
「それって、間違ってない?」
そんな言葉が、無意識に誰かを追い詰めてしまうことって、案外あるんじゃないでしょうか。
しかも、その正しさが“みんなの常識”みたいな顔をしていると、否定するのも難しくなってしまう。
私自身、「それはおかしいよ」って言われたことが何度かあります。
でも、その“おかしい”って誰にとっての話なんだろう?と、ずっと引っかかっていました
その人の中では正しくても、私にとってはすごく苦しかった。
そういうことって、きっと誰にでもあると思います。
正しさって、誰かの心を救うこともあるけど、同時に誰かの心を削ってしまうこともあるんですよね。
だからこそ、簡単に「正しいかどうか」だけで判断するのって、ちょっと怖いなと思うようになりました。
正しさより、誠実でありたい
正しくあろうとすること自体は、悪いことじゃないと思います。
むしろ、ちゃんとしようとする人ほど、真面目で優しい人が多いように感じます。
でも、そんな人ほど、正しさに縛られて苦しくなってしまうのも、よくあることです。
「これはこうすべきだ」
「ちゃんとやらなきゃ」
「間違えちゃいけない」
そうやって、自分を追い込んでしまうんですよね。
私も、ずっとそうでした。
でも、あるときふと気づいたんです。
“正しさ”って、状況によって変わることもあるし、人によっても感じ方が違う。
だったら、無理に正しくあろうとするよりも、自分に誠実でいたほうがいいんじゃないかって。
誠実でいるっていうのは、すごくシンプルだけど、すごく大事なことです。
たとえば、自分に嘘をつかないこと。
相手を尊重しながらも、自分の本音をごまかさないこと。
完璧じゃなくてもいいから、ちゃんと向き合おうとする姿勢。
それって、誰かの“正しさ”に合わせることよりも、ずっと深く人とつながれる気がしています。
だから私は、正しくあろうとするよりも、誠実でありたいと思っています。
たとえそれが、誰かの基準から外れていたとしても。
あなたにとっての“正しさ”は、誰のものですか?
「正しさ」って、考えれば考えるほど、どこか曖昧なものです。
誰かにとっては当たり前でも、自分にとっては苦しいこともある。
逆に、自分が信じていることが、誰かを傷つけてしまうこともある。
だからこそ、私は最近、こう自分に問いかけるようにしています。
“これは本当に、自分の中から出てきた正しさだろうか?”
それとも、“誰かから刷り込まれた価値観を、そのまま信じているだけじゃないか?”
その問いに正解があるわけじゃないけれど、考えること自体が大切なんだと思います。
正しさに縛られて苦しくなるくらいなら、少しくらい不器用でも、自分の感覚を信じていたい。
間違っていたら、そのときに考え直せばいい。
人はきっと、そうやって少しずつ変わっていける生き物なんだと思います。
あなたにとっての正しさは、誰のものですか?
それが、あなた自身の言葉で語れるものでありますように。